今回、弊社が主催します国家通訳案内士勉強会の第2回開催、東京ツアー1泊2日の勉強会を終了しましたので、その体験しました内容をご紹介します。
1日目:
JR東京駅スタート(午前9時)= 東京駅ビル&丸の内ビジネス街(午前9時から40分)= 皇居・二重橋、東御苑(午前10時から90分)=浅草・浅草寺&昼食(午後12時から2時間30分)=両国・江戸博物館(午後3時から60分)=車から両国の街見学・両国国技館など(午後4時から30分)=丸の内にてディナー
2日目:
お台場・海浜公園(午前10時から60分)=豊洲市場見学&昼食(午前11時20分から2時間)=増上寺(午後1時50分から50分)=JR東京駅戻り
1. 東京駅:
東京駅は、皇居前の広大な敷地に明治政府から駅舎建設の命令が発せられ、
1890年に建築家の辰野金吾が設計を開始しました。
赤レンガと白い花崗岩を使用し、6年半の歳月をかけ3階建ての駅舎として誕生しました。1923年の関東大震災発生時も、この東京駅はほとんど無傷で残りました。第二次世界大戦中の1945年5月の空襲で、ドーム屋根などが破壊されましたが、列車運転は継続されていました。戦後、徐々に修復され、平成19年から本格的な再建工事が開始され、平成24年に創建時の姿に再建されました。この東京駅は、アムステルダムの中央駅をモデルにして設計されたと言われており、ヨーロッパ風の雰囲気を味わうことができます。
2. 丸の内オフィス街:
丸の内オフィス街は日本の代表的なビジネス地域の一つです。三菱財閥系の複合企業が東京駅と皇居のお堀に挟まれた一等地を買い占めて、このビジネス街を作りました。
シンボルである赤レンガ造りの駅舎周辺には2017年12月7日に「丸の内駅前広場」がオープンしました。広場中央部には歩行者空間を設けて写真撮影しやすくしたほか、その南北にはバスやタクシーが乗り入れる交通広場を設け、バスで銀座や築地、日本橋といった観光地へアクセスしやすい環境を整えています。
3. 江戸東京博物館:
江戸東京博物館は、江戸と東京の歴史と文化をふりかえり、未来の都市と生活を考える場として、1993年に開館しました。館内の常設展は、徳川家康が江戸に入府してから約400年間を中心に、江戸と東京の歴史と文化を実物資料や復元模型などを用いて紹介されています。
この常設展示室は5階と6階の二階構造になっており、江戸ゾーンと東京ゾーンの二つに分かれています。
4. お台場:
お台場は最先端の臨海都市で、また巨大アミューズメント地区です。19世紀中にアメリカから開国を要求された際、徳川幕府は江戸を他の侵略から守るために、人工の島を作り大砲を並べました。その当時、この砲台のことを台場と呼んでいたため、それが今の名前に繋がっています。
最新鋭技術のベースとして発展しており、最新の科学美術館、複合施設の東京ビッグサイト、フジテレビ局、自由の女神のレプリカから見渡す東京レインボーブリッジ、お台場海浜公園、複合総合施設デックス東京、巨大なガンダム模型などが立ち並んでいます。
1) お台場海浜公園
2) 自由の女神レプリカ
3) ダイバーシティー東京プラザ
4) ガンダム巨大模型
5. 皇居:
皇居は東京のビジネス街の中心部に位置していますが、豊かな木々や花々などの自然に囲まれた憩いの空間として、現代ビルディングと江戸時代からの建築物を含む自然の空間が対照的に位置した、他に例を見ない景観を眺めることができます。この皇居周辺約5kmを一般市民が毎日ランニングしています。
江戸時代270年間の徳川家の住まいであった江戸城とその周辺の城郭内は、
明治維新後の新政府の方針に沿って、皇居が京都から東京に移ることになり、
それに伴って江戸城の敷地が現在の皇居となりました。
天皇、皇后両陛下のお住まいは、皇居西側の二重橋の奥の敷地にあり、公式には年2回、一般参拝客にその敷地が開放されます。
1) 二重橋
二重橋は二つの橋を意味し、前側は石の橋、後側は鉄の橋です。前側の橋のアーチは、そのシルエットが堀の水のなかに映し出され、めがねのように見えるため、めがね橋とも呼ばれています。
2) 楠木正成像
皇居西側の皇居前広場には、馬に乗っている楠木正成像があります。鎌倉幕府の末期1330年前後に、後醍醐天皇の元で、当時地方の豪族であった楠木正成が忠臣として活躍し、足利尊氏、新田義貞と協力して鎌倉幕府倒幕を実現させました。また、その後の後醍醐天皇の建武の新政で武士の不満が高まり、足利尊氏の離反に伴い、後醍醐天皇が南朝として吉野へ追われた際も、楠氏正成は最後まで、後醍醐天皇に忠義を尽くして戦い、最後は神戸市の湊川(私の故郷)で討ち死にしました。このような皇室への忠義の武将として、ここに銅像が設置されています。また、神戸の湊川神社は楠木正成が主神として祀られ、私は幼少の頃からその神社に参拝していました。
3) 東御苑
皇居の東側に位置する東御苑は、一般客に無料で公開された庭園です。この庭園は江戸城跡のある敷地と二の丸庭園のある敷地の二つに大別されています。多くの種類の花や木々が植えられていて、季節によって色とりどりの花や木々を1年通して楽しむことができます。
(大手門)
東御苑の主要な入門が大手門です。この大手門は江戸幕府により、桝と呼ばれる立方体の容器のような形で建造されています。その目的は、ここに敵陣が侵入した際、敵陣は四方塞がりになり、そこへ城の防衛者が火や鉄砲で攻撃して、殲滅させることが可能になります。但し、270年間でこの城に攻めてきた敵はなく、実際はこの門から諸大名が将軍への謁見のために登城していました。
(本丸大芝生)
本丸地区の広大な芝生は、本丸御殿が建ち並んでいましたが、度重なる火災によって、1863年に焼失してからは再建されていません。
この御殿には、表(将軍謁見など公式儀式)、中奥(将軍の日常生活&執務)、大奥(将軍の正妻、家族、側室などの生活の場)に分かれていました。
(天守台)
この天守台は、明暦の大火(1657年)に天守が焼失した後、1658年に再建されたものです。天守は幕府の方針で、その後再建されることはありませんでした。
(富士見櫓)
天守焼失後、この櫓が天守の代用として使用されました。現存する江戸城櫓の中で、唯一の三重櫓です。
(本丸地区の花と緑)
本丸大芝生の周囲には、桜の島、バラ園、野草の島などがあり、季節ごとの花や緑を楽しむことができます。
(二の丸の雑木林)
ここは武蔵野の自然を再現した雑木林で、昭和天皇のご発意により昭和60年に整備完了されました。江戸時代は将軍の別邸やお世継ぎの御殿がありました。
(二の丸庭園)
この庭園は、元は小堀遠州が造り、三代将軍徳川家光によって改修されたと言われていますが、度重なる火災で焼失し、現在の庭園は1964年に江戸時代の図面を元に復元されました。
ここには、四季折々の花と緑で溢れています。例えば、下記の通りです。
― 2月頃:梅林坂の梅
― 4月頃:二の丸庭園のクルメツツジ
― 6月頃:菖蒲田のハナショウブ
― 7月頃:二の丸雑木林のヤマユリ
― 11月から12月:二の丸雑木林の紅葉
6. 浅草・浅草寺:
浅草寺は、628年に創設された東京で最も古い寺院です。毎年約3000万人がここを訪れて参拝します。
雷門は浅草のシンボルとなっており、雷門の中心に大きな赤い提灯がぶら下っています。この門の両側には、風神像と雷神像が据えられています。
鎌倉時代の元寇の際、当時の執権、北条時宗が日本国中の武士を集めて陣頭指揮を執り、2度にわたる10万を超えるモンゴル軍隊に武力でわたりあいました。その奮闘と合わせて、当時の日本の気象(台風など)がモンゴルの軍隊に不利に働いた事実があり、その伝説が“神風”という言葉になって、現代まで伝わっています。風神、雷神を見るたびに、その当時のモンゴルによる日本植民地化を防ぎ切った北条時宗は、その役目を終えた後直後に亡くなっています。まさに日本を救うために生まれてきて、亡くなっていった日本歴史上の救世主の一人と思います。
この雷門は1865年に焼け落ちた後、放置されていましいたが、1960年にパナソニックの松下幸之助が私財を投じて再建されました。
(仲見世通り)
仲見世通りは雷門からお寺の二つ目の門(宝蔵門)まで続く、長さ205メートルの通りで、その両側に約90点のお店が並んでいます。
日本ならではの物、扇子、招き猫、提灯、風鈴、着物、浴衣などを見ることができます。また、地元名産のお菓子(人形焼き)や玩具などを製造販売しているお店が並んでいます。
(宝蔵門)
宝蔵門は、お宝御殿の門を意味しています。この門は内部が三重の構造となっており、上部2階は災害防止機能の付いた保管室になっています。経典などの仏教関連の宝物が保存されています。この宝蔵門は、ホテルニューオータニの創設者の資金で、1964年に再建されました。
(五重塔)
宝蔵門を通ると、五重塔が見えてきます。高さは約53メートルで、この建物も幾度となく火事で崩壊し、現在の五重塔は1973年に元の建築様式で再建されました。この塔は一番下から上に向かって、各階が地、水、火、風、空を意味しています。仏教的な五つの世界の宇宙観を表しています。
(本堂)
この本堂にお祀りされている観音菩薩像は秘仏として、参拝者は見ることができません。これは、自らの身を隠すことで、参拝者にパワーを与えていると言われています。
7. 両国と江戸東京博物館:
両国は相撲の聖地と言われています。両国国技館やちゃんこ鍋の店などがあり、相撲の世界の雰囲気を味わうことができます。
両国国技館は、1985年にオープンしました。この建物はマグニチュード10の地震にも耐えられる構造になっています。年3回の大相撲東京開催時は、この国技館で開催されます。
ちゃんこ鍋は相撲力士が食べる鍋物で、豚肉、鶏肉、魚、うどん、おあげや野菜が大きな鍋で調理されます。両国に、ちゃんこ鍋のレストランが多く見られます。
8. 増上寺:
増上寺は、東京都港区という東京のど真ん中にあるお寺です。浄土宗の七大本山の一つで、1393年創建され、現在の地区には1598年に移転しました。
度重なる火災や戦災で焼失しましたが、1974年に大殿が再建されました。2010年には、宗祖法然上人の八百年御忌が行われました。 またお寺は東京タワーの傍に位置しているため、東京タワーを見ることができる神社としても有名です。周囲にはビルが立ち並ぶ都会の中で、広い敷地でゆったりとした時間を過ごすことができます。
増上寺は、徳川将軍家と深いゆかりを持っています。戦国時代からの戦を勝ち抜いて、織田信長、豊臣秀吉の意志を引き継ぎ、天下統一後の長期的安念な世の中の実現を目指した家康は、270年の平和な江戸時代を確立しました。数々の戦に勝利し、天災等の災難を克服して天下統一が果たせたのは、この増上寺の御本像のお蔭と考えていたと言われています。
安土桃山時代、徳川家康が関東の地を治めるようになってすぐに増上寺は徳川家の菩提寺に選ばれました。
徳川家15人の将軍が埋葬された場所は、日光東照宮、上野寛永寺、増上寺、谷中霊園の4か所にわたっています。
徳川家康は、静岡駿府城で75歳になって亡くなる前に遺言で、静岡久能山に
1年間祀った後、日光に小さな神社を建てて祀るように指示を出しました。日光は久能山の北東(鬼が入り込む鬼門の方向)に位置するため、自らがそこに居て、死んだ後も日本の守護神になりたかったと言われています。現在の壮大な
日光東照宮は、孫の第三代将軍家光が、尊敬するお爺さん家康のために、造り替えました。その家康を敬愛する家光も現在、東照宮の傍に位置する輪王寺に埋葬されています。
この二人以外の将軍は、最後の将軍慶喜の谷中霊園埋葬を除き、
増上寺(6人)、寛永寺(6人)で埋葬されました。
増上寺には、この6人の徳川家将軍が眠る墓所があり、墓所には、各将軍の正室と側室のお墓も設けられています。
9. 豊洲:
日本政府は、世界最大の魚介類市場であった築地市場の場内市場を豊洲に移転することを決め、2018年10月に正式に移転が完了しました。
この東京都中央卸売市場の豊洲市場は、世界でも稀なマグロのせりを見学できる市場として、見学ルートが整備され、人気の観光スポットです。生鮮食品をメインに扱うため、衛生管理がしやすい環境に配慮した施設として整備されました。
一般客が見学できるエリアは、マグロのせり見学ができる「水産卸売場棟」とそこに直結している「管理施設棟」、野菜のせり見学ができる「青果棟」、プロ用品の他にお土産も買える「水産仲卸売場棟」の3つとなっています。それぞれのエリアで、食のプロが働く姿を間近で見学することができ、各棟に飲食店が多数あります。
マグロのせりは誰でも自由に見学できますが、このマグロせり見学ツアーに参加すると「マグロせり見学者デッキ」に入り、より間近でスタッフの説明を聞きながら見学できます。通常、この橋に5:30amに集合し、5:45amからせり見学ツアーをスタートします。
見学ツアーに参加しない人もマグロのせり見学ができます。見学者通路へ行き、窓からマグロのせりの様子を見ることができます。
青果棟では、2階から見下ろすように野菜や果物の取引の様子が見学できます。また、野菜と果物の鮮度を維持・保管するため、コンピューターで管理されている「自動立体低温倉庫」を窓から見ることができます。
10. 丸の内近辺でのディナー:
レストラン名、俺のGrillsteak & Bakery(ディナーショー付き) 丸の内オフィス街の中にある、落ち着いた大人の雰囲気のレストランでした。
ディナーショーも華やかな雰囲気を醸し出しました。





弊社Japan Van Toursは、国家資格を有する全国通訳案内士が、お客様にご同行させていただき、各観光地のご説明をさせていただくと同時に、 移動用車両をご用意させていただき、また旅館・ホテル・昼食・宴会などの各種手配を含め、お客様のお手がかからない、旅行会社としての一貫体制を構築させていただいております。弊社をご利用いただければ、プライベート感があり、自由度のある旅行を体験いただけると確信しております。 弊社のツアーは、少人数2~3人タイプ、4~7人タイプ、8~15人タイプと幅広くご選択いただくことが可能です。上記各訪問地の中からご希望の内容をご選択いただき、お客様にとって最適なツアーを構築させていただきます。 お問合せ:info@jvt007.com