今回、弊社が主催します国家通訳案内士勉強会の第1回開催、世界遺産高野山から熊野古道、熊野三山の旅の勉強会を終了しましたので、その体験しました内容をご紹介します。
和歌山は、古代の神々が降臨した聖地熊野、神武天皇東征の伝説(八咫烏と那智の滝)、空海真言密教の聖地高野山、古代巨大地層隆起による壮大な自然景観とその恩恵としての泉リゾート地などが織りなす壮大なテーマパークが形成された素晴らしい観光地でした。 和歌山、奈良、三重にまたがる紀伊山地は、古代から自然信仰の対象で、厳しい山岳修行の場所でした。今回は、3か所の山岳霊場(高野山、熊野三山、吉野・大峰)の内、高野山、熊野三山を巡ります。
以下、4日間の勉強会で得られた内容を順次ご紹介してまいります。

3日目: 概略旅程
南紀勝浦温泉スタート= 神倉神社 = 熊野速玉大社=花窟神社=鬼ヶ城=大門坂=熊野那智大社=那智山青岸渡寺=那智の滝=那智勝浦のホテル(泊)

<詳細のご紹介>
1. 神倉神社
神倉山は、熊野速玉大社から徒歩15分ほどで麓に辿り着ける、和歌山新宮市にある山で、その中腹(標高100m)に熊野速玉大社の摂社である神倉神社があります。 石段は538段、1193年に源頼朝が寄進したもの、天然の石を加工せずに積み上げていった石段で、 石段のある個所では、まるで垂直に近い感覚で這いつくばりながら登りました。この石段は、熊野古道中の古道と言われています。悲壮な思いと体力を消耗して登ったら、その山上に鳥居があり、一枚岩の岩盤の上に数個の巨岩が据えられていました。その巨岩が神倉神社のご神体で、ゴトビキ岩(ヒキガエルに似ているため)と呼ばれています。ここは、熊野三山に祀られる熊野の神々(熊野権現)が、初めて地上に降臨した場所と伝えられています。 この熊野権現は、景行天皇58年(128年)に、現在の熊野速玉大社に移って鎮座しました。 下りはまるで崖から転げ落ちるような恐怖を感じたため、迂回して、女坂と呼ばれる緩い傾斜の坂を下りて戻りました。 日本書紀によれば、神武天皇東征中に、この天磐盾に登り、何かのお告げを感じて、ここから奈良制圧、大和朝廷創建に向かったと言われています。


<熊野三山について>
熊野三山の熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社は全て、主祭神がそれぞれ違いますが、第一殿から第三殿までにイザナギのミコト、イザナミのミコト、スサノヲのミコトが祀られています。また、本宮大社は第四殿に天照大神が祀られ、速玉大社、那智大社は、これらを含め12神が祀られています。 これらの神々は日本最古の歴史書である日本書紀の最初に記述されています。現代では伝説、神話とされており、神武天皇の東征も実在の有無で見解が種々ありますが、その真偽は別として、この伝統、神話のお蔭で、1400年以上皇室が続き、那智の火祭りのような祭りが古代から全国各地で催されて、日本の伝統が守られてきている事実は、世界のどの国にもなく、誇りに思っています。いかなる天下を取った武将もこの秩序を崩すことがありませんでした。

2. 熊野速玉大社
熊野三山の一つ熊野速玉大社は、第一殿から第三殿までにイザナギのミコト、イザナミのミコト、スサノヲのミコトが祀られています。またこれらを含め熊野の神々12神が祀られています。


3. 花窟神社(三重県)
花の窟は、日本書紀記述の中にある、神々の母であるイザナミノミコトがその子、火の神を産む際に、火傷を負って亡くなった後に葬られた御陵です。 花窟神社は日本最古の神社といわれています。ここで年2回、例大祭が行われており、神々に舞を奉納し、長さ170mの大綱を岩窟上45mの高さのご神体から境内の松の御神木にわたします。この行事は太古の昔から行われているそうです。



<和歌山紀伊半島海岸沿いの景観と地理的成り立ち>
今回、南紀熊野ジオパークを訪問し、和歌山紀伊半島がどのようにして出来上がったかを学びました。 1800~1500万年前に、水深1500m海水の下の地下層のお盆のような窪みに、陸から流れてきた砂や泥が堆積し、地形の土台となる堆積岩体が形成されました。 その後、1500~1400万年前に地下で大量にマグマが生まれ、従来形成されていた土台を突き抜けて、そのマグマが上昇しました。そして地上や地下で冷えて固まり、火性岩体が形成されました。このように、海のプレートと陸のプレートが出会ってできた性質の異なる地層の大地が混合して、紀伊半島を形成しています。この土台によって、すばらしい景観が作られ、多種多様な動植物が育ち、熊野信仰や独特の文化が営まれてきました。 また、紀伊半島に火山がないのに温泉が湧く理由は、1500万年前に形成された火性岩体のお蔭であり、この自然の力に大きな恩恵を受けています。 このように、紀伊半島南部では、熊野酸性岩という火成岩が熊野層群という堆積岩の中に貫入して、那智の滝、鬼ヶ城、橋杭岩など特異な景観が作られたと考えられています。 特に、那智の滝は、火性岩体の硬い花崗岩と、軟らかい熊野層群(堆積岩)の境界に形成されました。 柱状節理のように見える岸壁が花崗岩で、これが浸蝕に強いため、一方の浸食に弱い堆積岩が消えてなくなり、奇跡のような滝が出来上がったと言われています。まさに、那智の滝は、1500何年前の自然の奇跡と神々が宿る信仰の頂点が合わさった滝と言えま4. 鬼ヶ城(三重県)
鬼ヶ城は、紀伊半島南部での熊野酸性岩という火成岩が熊野層群という堆積岩の中に貫入して、隆起した地形で、風化と波の浸食によって火成岩だけが残ってできあがった自然の芸術です。熊野灘に面して、延々1km続きます。


5. 大門坂
大門坂は熊野那智大社への石段が延々と続く参道です。467段の石段を登った後に、熊野那智大社に到達します。 ここも、神倉神社の石段ほどではありませんが、登るのに相当厳しい階段です。このような苦労をして辿り着いた神社で お願い事すれば、よりご利益が得られるのかもしれないと、このような経験をして認識しました。

6. 熊野那智大社
熊野三山の一つ熊野那智大社は、主祭神がイザナミノミコトで、第一殿から第三殿までにイザナギのミコト、イザナミのミコト、スサノヲのミコトが祀られています。またこれらを含め熊野の神々12神が祀られています。 また、この大社は特別に、那智の滝を御神体としています。毎年7月14日に開催される那智の火祭りで、12体の熊野神々が御滝の姿を現した高さ6mの12体御神輿に移され、那智大社から那智の滝へ渡り、参道に並んだ大松明で清められる神事です。

7. 那智山青岸渡寺
那智の滝で修行したインド僧の裸形上人が観音像を安置した草庵が始まりと言われています。滝に参拝をした花山法皇が西国三十三所の 第一番札所に定めました。一度、織田信長によって焼き討ちされましたが、その後、豊臣秀吉が天下平定後1590年に再建しました。 秀吉は応仁の乱後に焼け野原となった京都の整備など全国の貴重な個所を再建しており、足利義政の日本文化発祥の貢献と並び、秀吉の文化再建が現代の日本の観光に多大な貢献していると思います。 また、このお寺は隣接する神社と合わせて、日本の神仏習合の歴史を表しています。

8. 那智の滝
那智の滝は、133mの落差および水量とも日本一の滝です。 自然科学的には、火性岩体の硬い花崗岩と、軟らかい熊野層群(堆積岩)の境界に形成されました。 柱状節理のように見える岸壁が花崗岩で、これが浸蝕に強いため、一方の浸食に弱い堆積岩が消えてなくなり、奇跡のような滝が出来上がったと言われています。まさに、那智の滝は、1500何年前の自然の奇跡と神々が宿る信仰の頂点が合わさった滝と言えます。 日本書紀によれば、神武天皇が熊野灘から那智の海岸に上陸し、那智の山が光り輝くのを見て(これが那智の滝)、八咫烏に先導されて無事大和に入ったとされています。




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