1) 京都日帰り(東エリア)
京都駅スタート(午前9時)=清水寺(午前9時40分から70分)=二年坂(午前10時50分から20分)=哲学の道(午前11時40分から30分)=昼食(午後12時30分から60分)=銀閣時(午後1時40分から50分)=三十三間堂(午後3時から40分)=西本願寺(午後4時から40分)=京都駅戻り(午後5時)
<京都訪問地のご紹介>
京都と他の日本の観光地との違いは、京都が約680年頃から江戸時代まで、日本の首都および皇居であり続けたことです。 例えば、704年から1185年までの平安時代(朝廷が京都で支配、後半は平清盛の平家が支配)、1185年から1321年までの鎌倉時代(幕府は鎌倉、朝廷は京都)、1321年から1399年までの南北朝時代(実権は足利幕府、南朝:吉野、北朝:京都)、 1399年から1573年までの室町時代(幕府、朝廷とも京都)、1573年から1600年までの安土桃山時代(実権は信長、秀吉、朝廷は京都)、1600年から1867年までの江戸時代(幕府は江戸、朝廷は京都)と続きました。一方、奈良の朝廷は710年から 794年までの84年間でした。平清盛は、平安時代の後半約半年間だけ、神戸に遷都しました。江戸時代までの政治の中心は、鎌倉時代の鎌倉、秀吉の大阪、徳川家の江戸を除き、他は京都で統治されました。 このため、 各時代の統治者、武士、朝廷、公家、僧侶および著名な文化人などが数えきれないほどの貴重な神社、寺院、庭園などの歴史的 建造物を残してきました。
京都は、約1100年にわたる歴史遺産の凝縮された都市となっています。 京都の街は大きく分けて東、中央、西、北、南の5つに分類されます。それぞれの地域に、歴史的な建造物、美しい自然の景観、古風な街並み、店頭工芸品、文化体験、京都名物料理などを楽しむことができます。
日帰り(東エリア): 清水寺、二年坂、哲学の道、銀閣時、三十三間堂、西本願寺
<東エリア>
1. 清水寺
清水寺は、京都の東側に位置する仏教寺院で、京都17個のUNESCO世界文化遺産の一つです。 この寺は798年に創建されましたが、数々の歴史的戦乱の中で幾度となく焼失され、1633年に徳川幕府により再建されました。
清水寺本堂へと続く坂道と石段の参拝道を産寧坂といいます。土産物店や飲食店が軒を連ね、古都の風情を味わいながら、買い物とグルメを楽しんで散策することができます。
仁王門 この仁王門には、建屋の両側に一対の仁王が据えられており、訪れる参拝者がお寺に入ってもよい人々かを確認しています。
本堂 本堂は、1633年に徳川幕府第三代将軍家光によって再建されました。この本像は十一面千手観音です。この本堂は崖の上に突き出ている舞台で有名です。この舞台から京都市の景観が楽しめ、また目の前の山の中腹に、安産の塔を意味する子安の塔が見えます。
2. 二年坂&八坂の塔
八坂神社から清水寺へ通じる石畳の坂道の中に二年坂があります。石畳の細い路地に昔ながらの京都の住居や京町屋が並び、土産店やグルメ店も立ち並んでいます。さらに、飛鳥時代に聖徳太子が建立した法観寺にある五重塔、通称“八坂の塔”が、この坂道を歩いていると見えてきます。まさに、古都京都の伝統的雰囲気を味わうことができます。
3. 銀閣寺(慈照寺)
このお寺は、足利幕府八代将軍義政が将軍職を息子に譲ってから、自分のために作った別荘が元になっています。彼の死後、 この別荘は1490年に禅寺に建て替えられて、現在に至っています。このお寺は、京都17個のUNESCO世界文化遺産の一つです。 この銀閣寺は、シルバーパビリオンの寺を意味しますが、実際には、このパビリオンは銀で覆われていません。当時の幕府の財政難のため、当時高価な銀を塗れなかったと言われています。義政は力のある統治者ではなく、37歳で自ら引退後、この別荘で隠遁生活を始めましたが、非常に文化的才能の溢れた武士であったため、庭作り、華道、歌作り、茶の湯、水墨画などを庶民まで招いて楽しみました。それが、現代に至る上記日本文化の基礎を作ったと言われています。
4. 哲学の道
哲学の道は、北は銀閣寺から南は若王子神社まで疎水に沿った約2kmの散歩道です。川に流れる水音と450本の桜並木が続き、桜のトンネルとなります。明治時代には文人が多く住み、文人の道といわれました。その後、哲学者・西田幾太郎や田辺元らが散策したため、 この名前が使われるようになりました。
5. 三十三間堂
平安時代の12世紀後半は、後白河法皇の朝廷を平家の平清盛が支え、世の中のことは平家が統治していました。平家であらずば人にあらずという諺がでるほど、平家の世の中でしたが、次から次へと内乱は絶えず、民衆は疲弊していました。そこで後白河法皇は人々の 気持ちを落ち着かせるため、清盛にこの寺の建築を命じました。この寺は、1165年に、清盛が資金を提供して創建されました。 幾度かの自然災害や戦火で焼かれ、今日まで数回にわたり、再建されてきました。 この寺の開口は日本で一番広く、118mです。祭壇の前の柱の間に33の空間があるため、三十三間堂と名付けられました。 1001体の仏像があり、中央の本尊(中尊座像)のほかに、千体の等身大の千手観音が配置されています。 これらのお像は、70人の彫刻師によって約100年の年月を費やして作られました。そのため、それぞれが異なった顔をしています。
6. 西本願寺・東本願寺
西本願寺と東本願寺は、日本最大の仏教宗派の浄土真宗の2つの総本山です。 西本願寺は世界文化遺産に登録されています。前後がそり 曲がった曲線状の唐破風造りの屋根を持つ四脚門・唐門(国宝)など、安土桃山時代および江戸時代初期から残る建築様式が見られます。東本願寺は 西本願寺建立の後に建てられ、 浄土真宗の開祖・親驚上人にささげられた京都最大の木造建築である御影堂や、小さな美しい池泉回遊式庭園・沙成園があります。
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神社は、8世紀の前半に創建されました。日本にある約3万の稲荷神社の総本宮です。当初から、伏見稲荷大社は農耕の神として崇められました。時代を経て産業が発達するにつれて、商売の神としても崇拝されるようになりました。 境内には主に商人や会社の経営者から商売繁盛を祈って寄付された約5千基の鳥居があります。
9. 平等院鳳凰堂:
平等院鳳凰堂は京都府南部に位置する宇治市にあり、17個の古都京都文化財として認定された世界文化遺産の一つです。 平安時代の後期に、当時最大の権力者であった摂政藤原頼道が創建しました。元は、彼の父藤原道長の別荘でしたが、極楽往生を願う 頼道によって仏寺に改装されたものです。創建当時の1092年、日本には末法思想という考え方が広まっていました。 お釈迦様が亡くなって1000年後の末法初年が1052年に当たり、実際に飢餓や天災などの災害が相次いで起こり、世の中の終わりが 実感されていました。そのため、極楽浄土への憧れがありました。平等院のシンボル鳳凰堂は、お堂の形が、羽を伸ばした鳳凰の姿に見えます。平等院の庭園は、極楽浄土をこの世に再現しようとした“浄土式庭園”と呼ばれています。
10. 醍醐寺
醍醐寺は、京都市伏見にある仏教寺院で874年に創建されました。真言宗醍醐派総本山、本尊は薬師如来です。 京都市南東に広がる醍醐山に200万坪以上の広大な境内を持ち、国宝や重要文化財を含む約15万点の寺宝を所蔵します。 豊臣秀吉が天下平定後、晩年に彼をおそった困難な状況(朝鮮出兵の失敗、初めての子供が直ぐに亡くなるなど)を払拭するため、大々的のこの寺で“醍醐の花見”と呼ばれる盛大な花見を催しました。秀吉の晩年の威光を示すものでした。正室、側室や家来約1000人と花見を楽しんでいました。しだれ桜、ソメイヨシノ、山桜、八重桜などの種類、約1000本の桜